内的なものは壮大か

救われるかどうかも大事なのかも知らないけど、
けどどうせ誰しもいつか死ぬし、最終的にどう変わったかとか、結果でしかないし
結果より大事なのは取り組み方だなって

取り組み方を、信仰っていう取り組み方を、あの映画に見た気がして

神を愛してなかったらあそこまで苦しまない、本当に大事だから、どういう過程で向き合ってくのか、苦しむんだとかも思った
殉教も棄教も結果で、なんか、取り組み方を、見たなぁ って感想だな うん

 

取り組み方かあ そっか 苦しみにも意味はあったと ちゃんと 不必要でなく

 

なんか、そのひとにとっての、解が、たまたまそれだったのかな

ほんと、印象的だったのは
神に肉迫する、その過程だな
だからやっぱ安心したという形容が一番近いかな

 

安心か

そっかあ

 

うんなんか生きてる、てこと、生きる、てことの、なんか

なにかすごく生身のなにかがあった

 

なんか あの苦しみが、安心って言われて、なんか安心した私も今 そっかあ、って

 

なにかがあったというか、なにかが共にいた、というか、うん
ほぼ、内なる出来事としてあった?

スケールが内的すぎるのか壮大すぎるのか、どっちかか両方か

対象物はないんだよね 目的語を取らない 自動詞のなにかの動詞がくるはず

 

 

ホシ

今日さ、魂と心と体の関係性の話したら、地球とかのホシもそうだねって、マグマが内部にあってそれが核で、って、いわれ、

私は太陽が魂と似てるなってそもそも思っていたから、あっそのホシ、もそうかもなって思って。

あとね最近、人間をちゃんと撮ってみたくて、人をちゃんと撮るって何だろうって思った時に、星を撮る感じときっと似てるなって思っていたのもあって。

つまり、なんか、

人と星は同じ(どーん)(ざっくり感)