Weil du mir sehr fehlst

”DU FEHLST MIR, IMMER WENN ETWAS GUTES IN MEINEM LEBEN PASSIERT, WEIL ICH ES MIT DIR TEILEN MÖCHTE. DU FEHLST MIR, WENN ICH AUFGEWÜHLT BIN, WEIL DU MICH VERSTEHEN WÜRDEST UND ICH BEI DIR RAT FINDEN KÖNNTE. DU FEHLST MIR WÄHREND ICH LACHE UND WEINE, WEIL ICH WEISS, DU WÜRDEST MIT MIR LACHEN UND MEINE TRÄNEN TROCKNEN. DU FEHLST MIR STÄNDIG, ABER AM MEISTEN FEHLST DU MIR, WENN ICH NACHTS WACH LIEGE UND AN ALL DIE WUNDERVOLLEN ZEITEN DENKE, DIE WIR MITEINANDER VERBRACHT HABEN. EINIGE DAVON WAREN DIE BESTEN MOMENTE MEINES LEBENS. ICH VERMISSE DICH.

「希望はわたしたちを欺くことはありません。」(ローマの信徒への手紙5:5)

希望は夜空に輝く星のようなもの。空に雲がかかっていれば星の輝きは見えません。でも、だからといって星がなくなったわけではないのです。星は雲のかなたで瞬き続けています。だから、どんなにつらい時でも、たとえすべての希望が失われたように感じられるときも、暗い夜道をわずかな星の瞬きを頼りに旅する旅人のように、希望はあるのだと信じて歩み続けましょう。

 

あれだよ これはたぶん、漠然といいことが起こるというか、神のblessみたいなのが訪れるっていう、その、受け身の救いをさしてると思うけどね

 

ドイツの方でみた、偉大なフラスコ画とか、音楽も含め、なにこれーまじすげーよーって感じの芸術たちのことを思うと

自分ていう人間ひとりなんてちっぽけな存在なんだなー何もできなくっても、偉大なものに抱かれているという感覚

そんな気持ちもうまれたな

だからさ!自分がたよりない状況でも
他者がたすけてくれることってきっとあるんだ
その他者が 人間か神か 偶然か 物か 何かはわからんが

わたしが何年間もかけて芸術に陶酔してるのは、そういう希望の光を見出してるからなんだろうなあとおもってる 人生において 最後のたのみ、みたいな笑 網、というか、綱というか、網かな、、

まあそういうのが宗教の力とも言えるよな
歴史になぜこれほど宗教の力がおよんでるのかって
ひとびとが、そういった(絶対的な存在を認める)思考なくしては、生きていけないくらい
つらかったけど、それで希望を、見出してきたんだもんな

そういうことがヨーロッパの建築や音楽とかに現れてると思うと、な

 

トモダチサイコー!!あげ⤴️⤴️