Silence

なんか時代とか状況ちがってもすごい普遍的で内面的?
じぶんたちの内なることだなあっていちばんかんじたんだけど、

信仰は、宗派とわずぜったいあるとおもうんだよね、必要っていうか、少なくとも自分にはあるし

まあ意識する前から神を想定してるというか

で、存在を想定してるし信じてるから、感じたいし、関係を持ちたいし、そこにむかってくしかなんか

(あ、自分にとって絶対的なものを神と表現するとする。)

自分と神との関係性をいかによくしていくか

それが唯一のことになってくんじゃないかってのある

それは自分にとってだけでなく、プロテスタントの友人もいってたことあるし、
その神が誰なのかとかは違っても、
信仰ってそういうことなのかなーみたいな
仮説があって

 

おぬしにとって音楽が、方法なんだ

 

うん。ただ、方法といってもダイレクトにはアプローチできない。

祈りみたいにダイレクトにアプローチする方法は、まだ心得てない感じがする


音とか芸術のつくりだす世界観から、あ、いるのかも、て感じることしかできない

せめてその存在を描こうとした、かたちあるもの(音楽とか)と関係を結んでいれば、
間接的にでも存在を感じられて、
完全にはぐれることはなくて、
救済とか、ううん、どこに通じるのかとか、どうしてはぐれてはいけないのかは、わからないけど

ただ、もしはぐれたら、信仰のない世界になる、そのとき色もないし、死にながら生きるんじゃないかくらいの懸念はある

だいたいその神がキリストなのか誰か知らないし、もはや人でなく概念なのかもしれないし、宇宙なのかもしれないし。

ただその存在なしには生きられないから、
神の沈黙には耐えられない
神の沈黙に耐えられないから、神の意志?その世界?みたいなのを媒介?示してくれる存在を必死に模索してるのかな きっと音楽以外にもあるのかも


うん、それを音っていう形にして示しながら近づいていったり、もっと讃えたい、でも讃えきれてない
いや、神はこれだ、いや、これだ
みたいな過程が、音楽の過程なのかもみたいな思ってる

あれかな、だからその存在を想定して、あらわすのが一つの信仰だととらえてるのかもな
で、こっちから投げ続けるだけじゃたまらないから、
音の中に聴き取ろうとしてるんだよね
そうか信仰みたいなもんだ

 

音がなかったらきついよなぁほんとに沈黙だし、
まあでもキリスト教だったら言葉や、十字架や、形あるものがあるから、信仰はしやすいのか?

でも偉大なるものを聞き取ろうとしたり感じるために音楽は…

むずいな(*_*)

いや、ただひとついえるのは、
信仰のない世界はおそろしくて

 

恐ろしい世界に生きてると感じて、こわいし、信仰をつづけることで生きたいと思ってる、いままでのところは

ツールっていうのちがうか。
音楽のなかに神がいるから、信仰対象は音楽ってなるか

とすると、自分の信仰してる神
を否定する人のあふれる場所にいてる
のは神経おかしくなりそうな、場所でもあるここも

 

でも信仰って個人的なことだし、
自分にとっての神みたいなのに唾吐きかけられたって思って、ぐさりと刺さるけど、

他の人にとって違う神がいるとしてそれを私は把握できないなら、自分だって同じことしてるんだろうし、
てかんじで
普遍的な信仰について考えて いた いる

 

結論不明でした。。

あれだ、すくなくとも、信仰が普遍的な意味でどれだけ重要なのかを、
映画から全力で感じとった。
再確認っていうか、ふたたび、うん。ふたたび、

それで、感動?した。

 

 

 

うんだから重いと全然感じなかったし、すごくあの映画に、自然を感じて
ぐっすり眠れた